士林派
李氏朝鮮の党派のひとつ。
勲旧派: 大地主の両班 – 第7代国王・世祖(李瑈)の擁立に功の有った勲臣とその外戚で構成。1567年 宣祖即位以降消滅。
士林派: 中小の両班 – 朱子学を修めた科挙官僚(新興官僚) – 第9代国王・世宗(李裪)は士林派を積極的に登用し政治のバランスをとる。
士林派
- 第10代王・燕山君の時代
- 戊午士禍-多くの士林派が死刑や流罪となる。
甲子士禍-士林派と勲旧派数十人が処刑される。
中宗反正-勲旧派の宮中クーデターにより燕山君は王位を剥奪される。 - 第11代王・中宗の時代
- 即位に貢献した功臣・勲旧派・戚臣が勢力を握る。
己卯士禍-中宗は功臣勢力を牽制するために士林派の趙光祖(チョ・グァンジョ)を登用し、勲旧派に対抗したが、過激な改革を行ったため失敗に終わり、急進的な若手官僚の多くが、死刑・流刑され、その後余波で残った士林派の多くも粛清された。 - 第12代王・仁宗の時代
- 士林派の名誉回復が行われたが、翌年仁宗が没したためその志は遂げられないまま終わる。
- 第13代王・明宗の時代
- 乙巳士禍-11歳で即位したための後継者争いで、外戚で中宗の3番目の妃文定王后の次兄の尹元衡が権力を握り、反対勢力を粛清し多くの士林派も巻き込まれた。
外戚・小尹派による専横が行われる。 - 第14代王・宣祖の時代
- 宣祖により外戚勢力は一掃され、士林派が政権を担う
士林派は東人と西人に分裂し朋党政治繰り広げる。(士林派の政界掌握で官職にのぼる資格者が多くなったための官職の取り合い)
1851年-東人が政権を握るが、強硬派の北人と穏健派の南人に分裂する。
政権を握った北人は、光海君を推す大北と、永昌大君を推す小北に分裂する。 - 第15代王・光海君の時代
- 光海君を擁立した大北が政権を握ると、永昌大君や綾昌大君を謀殺した。
大北は「骨北」「肉北」「中北」に分裂し党争は15年間続き、南人西人は協力してそれに対抗した。
仁祖反正-1623年、西人と仁祖のクーデターにより大北は失脚。 - 第16代王・仁祖の時代
- 親明反後金政策をとる。
丁卯の役・丙子の役-西人が主導権を握りつつ南人と調和し国難を乗り切る。 - 第18代王・顕宗の時代
- 甲寅礼訴-南人が政権を握り西人は粛清される。
- 第19代王・粛宗
- 庚申換局-南人の専横に歯止めをかけるため南人を大量に追放し、西人は政局に復帰する。
西人は粛宗の外戚に対し批判的な少論派と、妥協的な老論派に分裂する。
粛宗は南人と西人の勢力を交互に入れ替える換局政治を行う。
1694年-少論が主導権を握る。
1701年-老論と少論主導による政治が行われる。南人は少数勢力になって西人の少論と老論が交互に政局を担う。 - 第21代王・英祖の時代
- 英祖は、少論・老論・南人・小北を均等に採用する蕩平政治で党争を押さえ込もうとした。
壬午事件-荘献世子の排斥に肯定的な老論を中心とした僻派と、排斥に反対を唱える南人・少論を中心にした時派に大きく分裂、各党派内でも大きな分裂が生じた。 - 第22代王・正祖の時代
- 正祖擁立に功績の有った洪国栄による勢道政治が始まり、士林勢力は大きく勢力を削がれた。
1780年-洪国栄は王妃暗殺未遂事件によって流罪となり、政権は士林派の手に戻った。
僻派を中心としたカトリック排斥派の功西派と、時派を中心とした受容派の信西派の間で対立が生じる。
辛亥邪獄-排斥派が勝利し最初のキリスト教の弾圧が行われ、信西派の多い南人は大きく勢力を落とした。 - 第23代王・純祖の時代
- 貞純王后の垂簾聴政が敷かれ僻派が実権を握る。
辛酉教獄-キリスト教の大弾圧が行われ、信西派の多い時派の南人・少論は壊滅状態になり、老論僻派のみが残る。
1803年-垂簾聴政取りやめ。
1804年-生き残った時派勢力の一人でもあった外戚の金祖淳が老論勢力を追放し、1805年に貞純王后が逝去すると、自らの本貫の安東金氏のみを登用した勢道政治を始めた。これ以降は60数年に渡り特定の一族が政治を独占する時代が続き、士林勢力は消滅する。
李氏朝鮮国王一覧と党派
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李氏朝鮮国王一覧
姓・諱 | 廟号 | 日本読み | 朝鮮読み | 在位開始 | 在位終了 | 作品 | 党派 | 乱 | 父 | 母 | 封号 | ||||||||
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李氏朝鮮 | 第1 | 李成桂 | 太祖 | たいそ | 1393 | 1398 | 勲旧派 | 李子春 | 永興崔氏 | 権知高麗国事 | |||||||||
第2 | 李芳果 | 定宗 | ていそう | チョンジョン | 1398 | 1400 | 太祖 | 神懿王后 | 次男 | ||||||||||
第3 | 李芳遠 | 太宗 | たいそう | テジョン | 1400 | 1401 | 太祖 | 神懿王后 | 五男 | ||||||||||
1401 | 1418 | 朝鮮国王 | |||||||||||||||||
第4 | 李裪 | 世宗 | せいそう | セジョン | 1418 | 1450 | 太宗 | 元敬王后・閔氏 | 三男 | ||||||||||
第5 | 李珦 | 文宗 | ぶんそう | ムンジョン | 1450 | 1452 | 王女の男 | 世宗 | 昭憲王后・沈氏 | 長男 | |||||||||
第6 | 李弘暐 | 端宗 | たんそう | タンジョン | 1452 | 1455 | 癸酉靖難 | 文宗 | 顕徳王后・權氏 | ||||||||||
第7 | 李瑈 | 世祖 | せいそ | セジョ | 1455 | 1468 | 李施愛の乱 | 世宗 | 昭憲王后・沈氏 | 次男 | |||||||||
第8 | 李晄 | 睿宗 | えいそう | イェジョン | 1468 | 1469 | 世祖 | 貞熹王后・尹氏 | 次男 | ||||||||||
第9 | 李娎 | 成宗 | せいそう | ソンジョン | 1469 | 1494 | 士林派 | 世祖の長男・懿敬世子 | 仁粋大妃 | 次男 | |||||||||
第10 | 李㦕 | 燕山君 | えんざんくん | ヨンサングン | 1494 | 1506 | 戊午士禍 甲子士禍 中宗反正 | 成宗 | 廃妃・尹氏 | 長男 | |||||||||
第11 | 李懌 | 中宗 | ちゅうそう | チュンジュン | 1506 | 1544 | 己卯士禍 | 成宗の次男 | 貞顕王后・尹氏 | ||||||||||
第12 | 李峼 | 仁宗 | じんそう | インジョン | 1544 | 1545 | 中宗 | 章敬王后・尹氏 | 長男 | ||||||||||
第13 | 李峘 | 明宗 | めいそう | ミョンジョン | 1545 | 1567 | 乙巳士禍 | 中宗 | 文定王后 | 次男 | |||||||||
第14 | 李昖 | 宣祖 | せんそ | ソンジョ | 1567 | 1608 | 西人 | 東人 | 文禄・慶長の役 | 中宗の三男・徳興大院君 | 河東府大夫人鄭氏 | 長男 | |||||||
第15 | 李琿 | 光海君 | こうかいくん | クァンヘグン | 1608 | 1623 | 南人 | 北人 | 宣祖 | 恭嬪金氏 | 次男 | ||||||||
第16 | 李倧 | 仁祖 | じんそ | インジョ | 1623 | 1649 | 小北 | 大北 | 宣祖の五男・定遠君(庶子) | 仁献王后 | 長男 | ||||||||
第17 | 李淏 | 孝宗 | こうそう | ヒョジュン | 1649 | 1659 | 仁祖 | ||||||||||||
第18 | 李棩 | 顕宗 | けんそう | ヒョンジョン | 1659 | 1673 | 西人粛清 | 孝宗 | 仁宣王后 | 長男 | |||||||||
第19 | 李焞 | 粛宗 | しゅくそう | スクチョン | 1674 | 1720 | トンイ | 老論 | 少論 | 甲寅礼訴 庚申換局 | 顕宗 | 明聖王后 | 長男 | ||||||
第20 | 李昀 | 景宗 | けいそう | キョンジョン | 1720 | 1724 | 辛壬士禍 | 粛宗 | 禧嬪張氏 | 長男(庶子) | |||||||||
第21 | 李昑 | 英祖 | えいそ | ヨンジョ | 1724 | 1776 | イ・サン | 僻派 | 時派 | 壬午士禍 | 粛宗 | 淑嬪崔氏 | 次男(庶子) | ||||||
第22 | 李祘 | 正祖 | せいそ | チョンジョ | 1776 | 1800 | 功西 | 信西 | 辛酉教獄 | 英祖の次男・荘献世子 | 恵慶宮洪氏 | 次男 | |||||||
第23 | 李玜 | 純祖 | じゅんそ | スンジョ | 1800 | 1834 | 僻派 | 勢道政治 (安東金氏) | 正祖 | 綏嬪朴氏 | 次男 | ||||||||
第24 | 李奐 | 憲宗 | けんそう | ホンジョン | 1834 | 1849 | 純祖の長男・孝明世子 | 神貞王后 | 長男 | ||||||||||
第25 | 李昪 | 哲宗 | てっそう | チョルジュン | 1849 | 1863 | 正祖の弟・恩彦君の子・恩彦君 | 龍城府大夫人廉氏 | 三男 | ||||||||||
第26 | 李熙 | 高宗 | こうそう | コジュン | 1863 | 1897 | 明成皇后 | 江華島事件 壬午事変 甲申政変 東学党の乱 乙未事変 | 英祖の次男・荘献世子の三男・恩信君 の養子・南延君の四男・興宣大院君 | 驪興府大夫人閔氏 | 次男 | ||||||||
大韓帝国 | 高宗 | 1897 | 1907 | 第1代皇帝 | |||||||||||||||
第27 | 李坧 | 純宗 | じゅんそう | スンジュン | 1907 | 1910 | 高宗 | 明成皇后閔氏 | 長男 | 第2代皇帝 |