年表
年表
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西 暦 | 和 暦 | 日本の情勢 | ||
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1868年 | 1月3日 | 慶応3年 | 12月9日 | 王政復古の大号令 |
4月6日 | 慶応4年 | 3月14日 | 五箇条の御誓文 | |
10月23日 | 明治元年 | 9月8日 | 明治に改元 | |
1869年 | 7月25日 | 明治2年 | 6月17日 | 版籍奉還 |
1870年 | 1月26日 | 12月25日 | 東京・横浜間に電信開通 | |
1870年 | 2月3日 | 明治3年 | 1月3日 | 大教宣布の詔 |
1871年 | 2月27日 | 明治4年 | 1月9日 | 参議広沢真臣、東京麹町の私邸で暗殺される。 |
3月14日 | 1月24日 | 東京・京都・大阪間に郵便開始を定める。 | ||
4月24日 | 2月13日 | 政府、薩摩・長州・土佐3藩の兵を徴して親兵を編成することを命ずる。 | ||
5月22日 | 4月4日 | 戸籍法を定める 明治5年2月1日(壬申戸籍) | ||
6月14日 | 4月27日 | 政府、大蔵卿伊達宗城を欽差全権大使とし、条約改正のため清に派遣決定。5月17日出発。 | ||
6月27日 | 5月10日 | 新貨条例を定める(新貨幣の呼称は円・銭・厘。日本最初の金本位制) | ||
6月30日 | 5月13日 | 政府、参議副島種臣を露国ポシェット湾に派遣し、樺太境界を協議させることに決定。 | ||
8月11日 | 6月25日 | 政府首脳人事更迭、薩摩藩大参事西郷隆盛、参議に就任(木戸孝允以外の参議辞職)。 | ||
8月19日 | 7月4日 | ハワイ国全権デ=ロング(米公使)と修好通商条約を調印、批准書交換(相互に最恵国待遇を認める)。 | ||
8月29日 | 7月14日 | 天皇、在京56藩知事を集め、廃藩置県の詔書を出す。 | ||
8月29日 | 7月14日 | 政府首脳人事更迭、西郷隆盛、木戸孝允のほか、新たに大隈重信・板垣退助、参議となる。 | ||
9月2日 | 7月18日 | 文部省をおく。 | ||
9月11日 | 7月27日 | 民部省を廃止。 | ||
9月13日 | 7月29日 | 太政官制を改め、正院、左院、右院を置く。 | ||
9月13日 | 7月29日 | 清と修好条規・通商章程・海関税則を天津で調印。条規第2条問題化し、1873年4月30日に至り批准書交換。 | ||
9月22日 | 8月8日 | 神祇官を改めて、神祇省とする(神祇官の格下げ) | ||
9月24日 | 8月10日 | 官制改革、納言を廃し左右大臣をおく。 | ||
10月4日 | 8月20日 | 東京・大阪・鎮西・東北に4鎮台をおく。 | ||
12月23日 | 11月12日 | 岩倉使節団、横浜港を出航 | ||
1872年 | 3月10日 | 明治5年 | 2月2日 | 政府、日清修好条規改定交渉のため、外務大丞柳原前光を清に派遣。 |
4月5日 | 2月28日 | 兵部省を廃止し、陸軍省・海軍省をおく。 | ||
4月21日 | 3月14日 | 神祇省を廃止し、教部省をおく。 | ||
7月3日 | 5月28日 | 朝鮮草梁公館事務を宗氏より移し、外務省の所管とする。 | ||
8月3日 | 6月29日 | 米英両臨時代理公使、ペルー国船マリア・ルース号(6月4日横浜寄港)乗組みの清国人苦力の虐待にたいし取調を外務卿副島種臣に申出。7月1日副島外務卿、神奈川県参事大江卓に取調を命ずる。 | ||
8月22日 | 7月19日 | 参議西郷隆盛を陸軍元帥とし、近衛都督を兼ねさせる。 | ||
9月5日 | 8月3日 | 学制を頒布。 | ||
10月14日 | 9月12日 | 新橋・横浜間の鉄道開業式(日本最初の鉄道) | ||
10月15日 | 9月13日 | マリア・ルース号乗組みの清国人苦力を、清国使節に引き渡す | ||
10月16日 | 9月14日 | 琉球国使臣尚健、国王尚泰の賀表を天皇に提出。国王尚泰を琉球藩王とし、華族に列する。 | ||
10月30日 | 9月28日 | 琉球藩と各国との条約及び交渉事務は外務省の管轄とすることを同藩に通達。 | ||
11月25日 | 10月25日 | 教部省を文部省に合併。 | ||
12月9日 | 11月9日 | 太陰暦を廃して太陽暦を採用するとの詔書(明治5年12月3日を明治6月1月1日とする。昼夜12時を24時に改める)。 | ||
12月15日 | 11月15日 | 国立銀行条例 | ||
12月28日 | 11月28日 | 徴兵の詔書および太政官告諭 | ||
1873年 | 1月10日 | 明治6年 | 徴兵令および付録を定める。 | |
2月26日 | 外務卿副島種臣、耶蘇教禁制の高札除去の口上覚書を米・伊公使に手交 | |||
2月28日 | 外務卿副島種臣を特命全権大使とし、清に派遣(条約批准書交換および台湾問題の交渉を行わせる) | |||
5月2日 | 政官職制を改正(権力を正院に集中) | |||
5月5日 | 皇居及び太政官・宮内省庁舎炎上。赤坂離宮を仮皇居に。 | |||
5月5日 | 大蔵大輔井上馨・大蔵省三等出仕渋沢栄一、財政改革意見を建議、同建議書、『日新真事誌』などに掲載され、論議を生む。)1873年5月14日井上、渋沢免官。 | |||
5月26日 | 岩倉使節団副使、大久保利通が帰国。 | |||
6月29日 | 特命全権大使副島種臣、三揖の礼により清皇帝に会見し、国書を提出。 | |||
7月23日 | 岩倉使節団副使、木戸孝允が帰国。 | |||
7月28日 | 上諭・地租改正条例を布告。 | |||
8月3日 | 参議西郷隆盛、閣議で征韓を決定すべしとの意見書を太政大臣三条実美に提出。 | |||
8月17日 | 閣議、西郷の朝鮮派遣を決定(発表は岩倉の帰朝をまって行うこととする) | |||
9月13日 | 遣米欧大使、岩倉具視、帰国。 | |||
10月14日 | 閣議、あらためて遣韓使節を議して決らず。10月15日再議し、西郷派遣を決定。 | |||
10月17日 | 木戸孝允、大久保利通、大隈重信、大木喬任の諸参議、西郷派遣を不満として辞表を提出、岩倉も三条に辞意を表明。 | |||
10月17日 | 三条太政大臣急病、10月20岩倉具視、これを代行。 | |||
10月24日 | 天皇、岩倉の奏を入れ、朝鮮遣使を無期延期とする。 | |||
10月24日 | 陸軍大将西郷隆盛、参議・近衛都督を辞職。 | |||
10月25日 | 参議兼外務省事務総裁副島種臣・参議兼左院事務総裁後藤象二郎・参議板垣退助・同江藤新平辞職。 | |||
11月10日 | 内務省をおく | |||
1874年 | 1月14日 | 明治7年 | 征韓派士族、赤坂喰違で岩倉具視を襲い負傷させる。 | |
1月17日 | 副島・後藤・江藤・板垣ら8人、民選議院設立建白書を左院に提出 | |||
2月18日 | 江藤新平ら佐賀県庁占領(佐賀の乱) | |||
3月1日 | 政府軍が奪回 | |||
5月4日 | 台湾出兵実施を決定。1874年5月22日台湾上陸。 | |||
1875年 | 4月14日 | 明治8年 | 漸次立憲政体の詔書 | |
5月7日 | 樺太・千島交換条約調印 | |||
9月20日 | 江華島事件 | |||
1876年 | 2月26日 | 明治9年 | 日朝修好条規調印 | |
3月28日 | 廃刀令 | |||
8月5日 | 金禄公債証書発行条例を定める(秩禄処分) | |||
10月24日 | 神風連の乱(熊本) | |||
10月27日 | 秋月の乱(福岡) | |||
10月28日 | 萩の乱(山口) | |||
1877年 | 2月15日 | 明治10年 | 陸軍大将西郷隆盛、兵を率いて鹿児島を出発 西南戦争 |
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9月24日 | 西郷隆盛ら、鹿児島城山で自刃 | |||
1878年 | 12月 | 明治11年 | 『米欧回覧実記』発売 (初刷500部。奥付による刊行日時は同年10月) |