航海法
イギリス重商主義政策の根幹をなした政策で、直接的には、オランダに対抗してイギリス海運業の利益を守ることを目的としたが、結果として、貿易業や製造業をも保護することになった。
- 1651年法:イギリスと植民地の貿易を基本的にイギリス船に限定することを規定。
- 1660年法:植民地が砂糖・タバコ・藍など植民地の特産物をイギリス以外の国に直接輸出することを禁止。
- 1663年法:植民地の輸入もイギリス船に限定。
航海法
ヨーロッパ主権国家体制の展開
イギリス立憲政治の発達
ピューリタン(清教徒)革命
オリバー・クロムウェルの率いる独立派は、まずより急進的な平等派と組んで、スコットランドやロンドンの大商人に支持者の多かった穏健な長老派を追放し、ついで1649年には、リルバーン(1614〜1657)をリーダーとした平等派をも抑えて、独裁権を確立した。
権力を確立したクロムウェルは、貴族院を廃止して庶民院のみとし、アイルランドを征服したほか、1651年には航海法(航海条例)を施行してオランダの中継貿易を排除しようとした。このためにおこった第1次イギリス・オランダ戦争(英蘭戦争 1652〜1654)に勝利すると、1653年終身の護国卿となり、軍事独裁をおこなった。劇場を封鎖し、ほとんどの娯楽を禁じるなど、厳格なピューリタニズムにもとづくクロムウェルの独裁政治は、民衆の反感をかい、王政復古につながった。
航海法
イギリス重商主義政策の根幹をなした政策で、直接的には、オランダに対抗してイギリス海運業の利益を守ることを目的としたが、結果として、貿易業や製造業をも保護することになった。
1651年法では、イギリスと植民地の貿易を基本的にイギリス船に限定することを規定し、1660年法は、植民地が砂糖・タバコ・藍など植民地の特産物をイギリス以外の国に直接輸出することを禁止した。さらに、1663年法では、植民地の輸入をもイギリス船に限定した。他方では、これらの政策は植民地人の不満のもとにもなった。
欧米における近代社会の成長
アメリカ独立革命
七年戦争後の植民地と本国の対立
本国は植民地を原料供給地・市場にとどめ、本国の産業や貿易を保護しようとする重商主義政策を実地した。1651年の航海法( ピューリタン(清教徒)革命)をはじめ、1699年の毛織物法、1732年の帽子法、1733年の糖蜜法、1750年の製鉄品法などは、本国の貿易・産業、英領西インド諸島の産品などを保護するために、植民地の自由な貿易や製造業に規制を加えたものであった。
- 毛織物法:本国の製造業保護のため、植民地の毛織物の輸出を禁止したもの。
- 帽子法:ビーヴァー皮の帽子の輸出を禁止したもの。
- 糖蜜法:イギリス帝国以外から植民地に輸入される糖蜜1ガロンにつき6ペンスの関税を課すもの。英領西インド諸島の砂糖キビ農場に利益を与えるのが目的であった。
- 製鉄品法:すでに操業している工場における生産をのぞき、植民地における鉄製品の生産を禁止したもの。
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