雄略天皇 (允恭天皇7年12月 – 雄略天皇23年8月7日)(418〜479)
第21代天皇。中国の宋に遣使した「倭の五王」のひとり「武」と推定される天皇。『宋書』によると478年、宋の順帝に上表文を奉ったという。埼玉県の稲荷山古墳から出土した辛亥銘鉄剣の銘文にみえる「獲加多支鹵大王」が「記紀」にいう「ワカタケル」天皇すなわち雄略天皇、つまり倭王武にあたることはほぼ確実と考えられている。
雄略天皇
「倭の武王」と目される古代の天皇
二十一代天皇。中国の宋に遣使した「倭の五王」のひとり「武」と推定される天皇。『宋書』によると478年、宋の順帝に上表文を奉ったという。埼玉県の稲荷山古墳から出土した鉄剣に刻まれた王名は、雄略天皇のことであると考えられ、その存在が確実視されている。
参考 ビジュアル版 日本史1000人 上巻 -古代国家の誕生から秀吉の天下統一まで
日本文化のあけぼの
古墳とヤマト政権
東アジア諸国との交渉
倭国はまた、こうした朝鮮半島南部をめぐる外交・軍事上の立場を有利にするため、百済や新羅などと同じように中国の南朝に使いを送り、朝貢している。
『宋書』の夷蛮伝倭国条には、5世紀初めから約1世紀の間に、讃、珍、済、興、武の5人の倭王(倭の五王)が相次いで宋に遣使したことが記されている。
なお埼玉県の稲荷山古墳から出土した辛亥銘鉄剣の銘文にみえる「獲加多支鹵大王」が「記紀」にいう「ワカタケル」天皇すなわち雄略天皇、つまり倭王武にあたることはほぼ確実と考えられる。
参考 詳説日本史研究
中国との交渉年表
弥生・古墳時代 中国との交渉
中国 | 日本 | ||||||
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西周 | 前1046 | 前11世紀〜 | 水稲耕作・大陸系石器・支石墓の伝来 板付遺跡(福岡県) | 早期 | |||
春秋時代 | 前770 | 前8世紀〜 | 北九州で支石墓・甕棺墓が現れる | 弥生前期 | |||
吉野ヶ里遺跡のはじまり | |||||||
戦国時代 | 前403 | 前4世紀〜 | 縄文式土器の影響を受けた弥生式土器が現れる | ||||
秦朝 | 前221 | ■環濠集落の出現 | 環 濠 集 落 ・ 高 地 性 集 落 の 発 達 |
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前206 | |||||||
前漢 | 前202 | ||||||
■丘陵の周囲に大きな環濠や墳丘墓を造成 | 弥生中期 | ||||||
百余国に分立・漢に献見す(『漢書』地理志) | |||||||
8 | |||||||
新朝 | 23 | ||||||
後漢 | 25 | ||||||
57 | 倭の奴国の王・後漢に遣使。光武帝より「漢委奴国王」の印綬を賜る(『後漢書』東夷伝) | 弥生後期 | |||||
107 | 倭国王帥升等、生口160人を安帝に献上(『後漢書』東夷伝) | ||||||
147 | 倭国大乱(『後漢書』東夷伝) | ||||||
189 | |||||||
曹魏 | 220 | ■高床倉庫・物見やぐらなどの建設 | |||||
孫呉 | 221 | ||||||
蜀漢 | 222 | ||||||
239 | 邪馬台国女王卑弥呼,魏に遣使。「親魏倭王」の称号と金印紫綬と銅鏡百枚などを賜る。 (『魏志』倭人伝) |
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247 | 卑弥呼死す | ||||||
263 | |||||||
265 | |||||||
晋 (西晋) | 266 | 倭の女王壱与,晋に遣使 | |||||
280 | □前方後円墳の出現 | 前期 | 古墳時代 | ||||
316 | |||||||
五胡十六国 | 東晋 | 317 | |||||
372 | 百済王, 七支刀を倭王に贈る | ||||||
北魏 | 386 | ||||||
391 | 倭,百済・新羅を破る(高句麗 好太王碑の碑文) | 中期 | |||||
413 | 倭国,東晋に方物を献上(『晋書』) | ||||||
420 | |||||||
宋(南朝) | 421 | 讃,宋に遣使(421〜478『宋書』倭国伝) | |||||
438 | 珍,宋に遣使。「安東将軍 倭国王」となる | ||||||
439 | |||||||
443 | 済,宋に遣使。「安東将軍 倭国王」となる | ||||||
451 | 済,「使持節都督 倭・新羅・任那・加羅・秦韓・慕韓六国諸軍事 安東将軍 倭国王」となる | ||||||
462 | 興,「安東将軍 倭国王」となる | ||||||
478 | 武, 宋に遣使。「使持節都督 倭・新羅・任那・加羅・秦韓・慕韓六国諸軍事 安東大将軍 倭王」となる | ||||||
479 | 479 | 武,「鎮東大将軍」となる(『南斉書』倭国伝) | 後期 | ||||
斉(南朝) | 502 | 502 | 武,「征夷大将軍」となる(『梁書』) | ||||
梁(南朝) | 512 | 百済に伽椰西部の支配を認める | |||||
東魏 | 534 | ||||||
西魏 | 535 | ||||||
538 | 百済聖王,欽明天皇に仏像と経典を献上(『上宮聖徳法王帝説』『元興寺縁起』『日本書紀』) | ||||||
北斉 | 550 | ||||||
北周 | 556 | ||||||
陳(南朝) | 557 |
ギャラリー
同時代の人物
オドアケル (434頃〜493)
ゲルマン人の西ローマ帝国の傭兵隊長。ロムルス・アウグストゥルス(西ローマ皇帝)に叛旗を翻して廃位させ、西ローマ帝国を滅亡させた。ゼノン(東ローマ皇帝)へ西ローマ皇帝位を返上し、ローマ皇帝の代官としてイタリアを統治する法的権限を得た。東ローマ帝国への内政干渉を機に、493年、ゼノンに討伐を命じられたテオドリック(東ゴート王)に惨殺され、オドアケルの支配は17年で終わった。