アラゴン王国
アラゴン王国国章 Source Wikipedia

アラゴン王国


ナバラ王国

スペイン王国ブルボン朝

アラゴン王国 A.D.1035〜A.D.1715
現在のスペインアラゴン州に存在した国。ナバラ王国サンチョ3世(ナバラ王)が領土を拡大し、子のラミロ1世への領土分割によりアラゴン王国を建設した。カスティーリャ王国とともにレコンキスタを展開した。首都: サラゴサ。

  • 1035年: ナバラ王国から独立
  • 1137年: バルセロナ伯領との連合の成立
  • 1412年: カスペの妥協(トラスタマラ朝の成立)
  • 1479年: カスティーリャ王国との連合(スペイン王国)の成立
  • 1715年: スペイン王国内における自治権の喪失(君主号としては1837年まで残る)

アラゴン王国

世界史対照略年表(1300〜1800)
/>世界史対照略年表(1300〜1800) ©世界の歴史まっぷ

ヨーロッパ世界の形成と発展

ヨーロッパ世界の形成と発展 ©世界の歴史まっぷ
ヨーロッパ世界の形成と発展 ©世界の歴史まっぷ

西ヨーロッパ中世世界の変容

スペインとポルトガル

711年、ムーア(ベルベル)人により西ゴート王国が征服されて以来、イベリア半島の大半がイスラーム教との支配を受けた。初めの300年ほどは後ウマイヤ朝の支配下に統一を保ち、都のコルドバや西ゴートの都であったトレドを中心に経済・文化が発達し、西ヨーロッパ屈指の繁栄を誇った。

だが、その陰で北部のキリスト教徒らは国土回復運動(レコンキスタ)を展開し、すでに718年にはペラーヨ王によるアストゥリアス王国が成立した。この王国はその後南に勢力を拡大、10世紀初頭にはレオンに都して、イベエリアの中央部にも進出していった(レオン・アストゥリアス王国)。
レコンキスタの前進基地には多数の城塞を築いたところから、カスティリャ(城)と呼ばれ、10世紀にはカスティリャ王国が成立、間も無くそのフェルナンド1世(カスティーリャ王)はレオン王国を併合した。
スペインとポルトガル 8〜13世紀レコンキスタ地図 ポルトガル王国
8〜13世紀レコンキスタ地図 ©世界の歴史まっぷ

他方ピレネー山脈地方でも、9世紀にナバラ王国が成立、サンチョ大王(ナバラ王)のもとでバルセロナまで征服し、その子ラミオ1世(アラゴン王)によりアラゴン王国が建設された。このカスティリャとアラゴンという新興両王国を中心に、その後のレコンキスタは展開された。

そのころ、後ウマイヤ朝は滅亡し(1031)、イスラームのイベリア支配は20余りの小王国の時代を迎えたが、レコンキスタとの関わりで重要な位置を占めたのは、サラゴサセビリャグラナダの3王国である。アラゴン王国の歴代の王はサラゴサを攻め、教皇の呼びかけによる連合軍も結成された(1064)が失敗に終わり、その占領は12世紀初頭にまでもちこされた。
他方、アルフォンソ6世(カスティーリャ王)(位1072〜1109)はトレドを占領(1085)、ついでセビリャを攻めたが、アフリカからベルベル人のムラービト朝軍が来援、失敗した。13世紀初頭、カスティリャ・アラゴン・ナバラの連合軍はムラービト朝にとって代わったムワッヒド朝軍に決定的勝利をおさめ、コルドバ・セビリャを相次いで回復した。その結果13世紀半ばには、イスラーム勢力はグラナダ1国を残すのみとなった。ナスル朝グラナダ王国(1230〜1492)は、カスティリャ王国に貢納しながらも独立を保ち、集約的農業と交易により栄えた。学芸が保護され、アルハンブラ宮殿も建設された。

すでにカタルーニャ・バレンシアとの連合王国を形成していたアラゴン王国は、その後地中海に向けて発展、13世紀後半にシチリア島、14世紀にサルデーニャ島、そして15世紀前半にナポリ王国を征服して絶頂期に達したが、国内では貴族や都市との抗争に苦しんだ。
一方、カスティリャ王国では14〜15世紀をつうじて王権が強化され、貴族との対立が激化した。また、小農経営を無視した牧羊業の推進と牧羊者組合(メスタ)の保護は農業の荒廃をもたらし、農民一揆や反ユダヤ暴動を引き起こした。

しかし、1469年アラゴン王子フェルナンド(フェルナンド2世(アラゴン王))とイサベル1世(カスティーリャ女王)が結婚、1479年には両国が統一されてスペイン王国が誕生すると、混乱は次第に収拾に向かった。
そして1492年、両国によりグラナダは陥落( 西方イスラーム世界)し、レコンキスタは終了した。同時にクリストファー・コロンブスによりアメリカ大陸への道が開かれ、スペインは西ヨーロッパの強国になっていく。

詳説世界史研究

歴代国王

ヒメノ家 1035~1164

サンチョ3世(ナバラ王)の死による遺領分割で、アラゴンは息子のラミロ1世に与えられ、国王の称号も許された。歴代の王はサラゴサを攻め、教皇の呼びかけによる連合軍も結成された(1064)が失敗に終わり、1118年にアルフォンソ1世(アラゴン王)に占領した。

  1. ラミロ1世(アラゴン王) 1035年1063年
  2. サンチョ1世(アラゴン王) 1063年~1094年 1076年以降は兼ナバラ国王
  3. ペドロ1世(アラゴン王) 1094年~1104年 兼ナバラ国王
  4. アルフォンソ1世(アラゴン王) 1104年~1134年 兼ナバラ国王
    1118年 サラゴサ占領。
  5. ラミロ2世(アラゴン王) 1134年~1137年
  6. ペトロニラ(アラゴン女王) 1137年~1164年
    1137年 バルセロナ伯(カタルーニャ君主国)ラモン・バランゲー4世との結婚により、アラゴン王国とバルセロナ伯領のアラゴン連合王国成立。

バルセロナ家 1164~1410

  1. アルフォンソ2世(アラゴン王) 1164年~1196年
  2. ペドロ2世(アラゴン王) 1196年~1213年
  3. ハイメ1世(アラゴン王) 1213年~1276年
    1229年 イスラーム支配下のバレアレス諸島を占領。
    1238年 バレンシア王国を征服(レコンキスタ)。
    1258年 カペー朝ルイ9世(フランス王)が条約締結
  4. ペドロ3世(アラゴン王) 1276年~1285年
    1282年 シチリア島占有(シチリア晩祷事件)。
  5. アルフォンソ3世(アラゴン王) 1285年~1291年
  6. ハイメ2世(アラゴン王) 1291年~1327年
  7. アルフォンソ4世(アラゴン王) 1327年~1336年
  8. ペドロ4世(アラゴン王) 1336年~1387年
    1343年 バレアレス諸島併合。
  9. フアン1世(アラゴン王) 1387年~1396年
  10. マルティン1世(アラゴン王) 1396年~1410年

トラスタマラ家 1412〜1555

  1. フェルナンド1世(アラゴン王) 1412年~1416年
    1412年 カスペの妥協。トラスタマラ朝の成立。
  2. アルフォンソ5世(アラゴン王) 1416年~1458年
    1442年 ナポリ王国占有。
  3. フアン2世(アラゴン王) 1458年~1479年
    1469年 アラゴン王子フェルナンド(のちのフェルナンド2世)、カスティーリャ王女イサベル(のちのイサベル1世)と結婚。
  4. フェルナンド2世(アラゴン王) 1479年~1516年
    1479年 アラゴン王国とカスティーリャ王国の同君連合の成立(スペイン王国の成立)。
  5. フアナ(カスティーリャ女王) 1516年~1555年

フアン2世の対立王

カタルーニャ内戦の間にフアン2世(アラゴン王)に対する3人の対立王が現れた。ただし、これにバレンシア王位が含まれることはなかった。

  1. エンリケ4世(カスティーリャ王) 1462年~1463年 トラスタマラ家
  2. ペドロ5世(アラゴン王) 1463年~1466年 アヴィシュ家
  3. レナト1世 1466年~1472年 ヴァロワ=アンジュー家

アブスブルゴ家 1516〜1700

スペイン・ハプスブルク朝

  1. カール5世(神聖ローマ皇帝) 1516年~1556年
  2. フェリペ1世(スペイン王) 1556年~1598年
  3. フェリペ2世(スペイン王) 1598年~1621年
  4. フェリペ3世(スペイン王) 1621年~1665年
  5. カルロス2世(スペイン王) 1665年~1700年

収穫人戦争中、アラゴン自体は フェリペ3世(スペイン王)への忠誠を保持していたが、カタルーニャはルイ13世(フランス王)及びルイ14世(フランス王)との同盟に切り替えた。ポルトガルは1640年に独立した。カルロス2世(スペイン王)には後継者がいなかった。

ボルボン家 1700

  1. フェリペ4世(スペイン王) 1700年1705年

ハプスブルク家 1705

  1. カール6世(神聖ローマ帝皇帝) 1705年1714年

戦争中(公的には1707年)、ボルボン家最初のスペイン国王アンジュー公フィリップ(フェリペ5世(スペイン王))はアラゴン連合王国を解体した。
しかし、イサベル2世(スペイン王女)までのスペインの君主は貨幣に自らを「スペイン国王/女王」と刻む一方、自らの公的な文章でアラゴン連合王国の幾つかの伝統的な君主号・領主号を使用続けた。

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