アルマダの海戦 (1588年7月31日〜8月8日)
1588年、フェリペ2世(スペイン王)は、スペインの誇る無敵艦隊(アマルダ)を、ヘンリー8世(イングランド王)の宗教改革以来、宗教問題やアメリカの領有権をめぐって対立の続いていたイギリスに派遣したが、戦闘は嵐にみまわれ、軽砲装備の小型船で戦うイギリスに大敗を喫し、政治・軍事的にも衰退にむかった。
アルマダの海戦
戦争データ
年月日:1588年7月31日-8月8日 | |
場所: 英仏海峡、プリマス沖、ポートランド沖、ワイト島沖、グラヴリンヌ沖 | |
結果:イングランド、オランダの勝利 | |
交戦勢力 | |
イングランド王国 ネーデルラント連邦共和国 |
スペイン ポルトガル |
指導者 | |
チャールズ・ハワード(初代ノッティンガム伯爵) フランシス・ドレーク |
アロンソ・ペレス・デ・グスマン アレッサンドロ・ファルネーゼ(パルマ公) |
戦力 | |
軍艦34隻 武装商船163隻(200トン以上30隻) 快速船30隻 |
軍艦28隻 武装商船102隻 |
損害 | |
戦死50–100人 戦傷400人 火船8隻焼失 戦病死:数千人 |
戦死600人以上 戦傷800人 捕虜397人 喪失9~11隻 戦病死:20,000人 難破・行方不明:54隻 |
参考 Wikipedia
無敵艦隊の進路
近代ヨーロッパの成立
ヨーロッパ世界の拡大
新大陸の発見
ドレーク船長
エリザベス朝に活躍したジョン・ホーキンズ(1532〜1595)やフランシス・ドレーク(1545頃〜1596)は、スペインの植民地や貿易船を襲撃したイギリスのprivateer(私掠船・私拿捕船)の船長として名高い。私掠船とは、政府の許可をうけて、敵国の船を襲撃し、略奪する民間船のことで、行為のうえで海賊船との差異は微妙である。ドレークは、エリザベス女王から免許をえて、1570年代西インド諸島へ遠征、そして1577年、旗艦ゴールデン・ハインド号以下5隻の船隊でプリマスを出帆し、マゼラン海峡を旗艦だけが通過し、チリ・ペルー海岸を略奪しながら、北緯48度線まで北上した。その後サンフランシスコ湾まで南下し、休養と修理を終え、ここを出発し、太平洋を横断した。モルッカ諸島で、香料(クローヴ)を十分積みこみ、喜望峰をへて、1580年に帰国した。マゼランに次ぐ世界周航であるが、略奪した財宝を考えると、彼の航海は算盤上は大成功をおさめたといえる。彼はその後もスペインとの戦いで活躍、1887年には、大胆なカディス湾のスペイン艦隊襲撃で成功をおさめ、1888年の無敵艦隊撃破では、イギリス海軍副提督として功を立てた。イギリス海軍の海上覇権への道を開いた海の男である。
ヨーロッパ主権国家体制の展開
イベリア半島でレコンキスタ運動をつうじて絶対王政国家を形成したポルトガル・スペインが新航路開拓による貿易独占、植民地経営で栄えた。特にハプスブルク朝スペインは、16世紀にヨーロッパ・アメリカ大陸・アジアにまたがる大帝国をつくったが、やがて新勢力の前に没落を余儀なくされた。このスペインからの独立を達成したオランダは、その海軍力を強化し、17世紀前半には東アジア貿易における海上支配権を獲得した。テューダー朝のもとで絶対王政を確立したイギリスも、スペインに挑戦した。無敵艦隊撃破はイギリスの海上覇権獲得の第一歩であった。
ヨーロッパ主権国家体制の形成
スペイン絶対王政の確立
1588年にはスペインの誇った無敵艦隊(アマルダ)が、ヘンリー8世(イングランド王)の宗教改革以来、宗教問題やアメリカの領有権をめぐって対立の続いていたイギリスの海軍に大敗し、政治・軍事的にも衰退にむかった。このような衰退過程を決定的にしたのは、17世紀初頭になって、アメリカからの銀の流入が激減したことである。また1640年には、イギリスの援助をうけたポルトガルが、ブラガンサ朝のもとに再独立を果たした。
略年表
ヨーロッパ主権国家体制の展開
1562 | ユグノー戦争(〜98) |
1571 | レパントの海戦 |
1572 | サン・バルテルミの虐殺 |
1580 | スペイン、ポルトガルを併合 |
1581 | オランダ独立宣言 |
1588 | イギリス、スペイン無敵艦隊を撃破(アルマダの海戦) |
1589 | フランス、アンリ4世(フランス王)即位(〜1610)ブルボン朝 |
1598 | フランス、ナントの王令、ユグノー戦争終結 |
1603 | イギリス、シュチュアート朝(〜1714) |
1607 | イギリス、ヴァージニア植民地設立 |
1613 | ロシア、ロマノフ朝成立(〜1917) |
1618 | ドイツ三十年戦争(〜48) |
1620 | メイフラワー号、プリマス着 |
1628 | イギリス、権利の請願 |
1640 | イギリス、ピューリタン革命開始(〜49) |
1643 | フランス、ルイ14世即位(〜1715) |
1648 | ウェストファリア条約 |
1649 | イギリス、チャールズ1世処刑、共和制となる(〜60) |
1651 | イギリス、航海法 |
1652 | イギリス・オランダ戦争(〜74) |
1653 | イギリス、クロムウェル、護国卿となる |
1660 | イギリス、王政復古 |
1682 | ロシア、ピョートル1世即位(〜1725) |
1688 | イギリス、名誉革命 |