インカ帝国(
A.D.1438〜A.D.1533)
15世紀半ばには、現在のコロンビアからチリにおよぶ広大なインカ帝国が、ペルーのクスコを都として成立した。太陽の化身である国王は、広大な領土を支配するために、道路をつくり駅に飛脚をおいて通信網を整備。険しい山岳地帯につくられたマチュ=ピチュの遺跡が示すように石造建築にすぐれ、人々は灌漑施設をもつ段々畑などで農業を行なっていた。1533年、スペイン人のフランシスコ・ピサロに征服され滅びた。
インカ帝国
アジア・アメリカの古代文明
南北アメリカ文明
アンデス文明
スペイン人が「新大陸」にやってきたとき、現在のペルーを中心にエクアドルからチリ北部にかけてのアンデス一帯を征服した高度な文明をもつインカ帝国が繁栄していた。14世紀から15世紀にかけて領土を拡大したこの帝国は、600〜800万の人口を擁していたと考えられる。インカ帝国では文字は使用されていなかったが、キープと呼ばれる綱の結びで十進法による計数のシステムを完成し、記録やさまざまな統計に利用していた。金や銀の鋳造がおこなわれ、種々の技術を駆使した金属細工がつくられていた。
鉄器は知られず、青銅は祭祀用器具の原料として用いられていたが、生産具として利用されることはなく、農業は新石器の生産技術の上に成り立っていた。ジャガイモなど根茎類を主食として栽培し、ラクダ科の動物リャマやアルパカが家畜として用いられていた。クスコを首都とし、そこにはすぐれた石造建築技術を用いた太陽信仰のための諸神殿や皇帝の宮殿がたてられていた。太陽神とされたインカ帝国皇帝は、整った政治行政組織をもった帝国を統治していた。
鉄器は知られず、青銅は祭祀用器具の原料として用いられていたが、生産具として利用されることはなく、農業は新石器の生産技術の上に成り立っていた。ジャガイモなど根茎類を主食として栽培し、ラクダ科の動物リャマやアルパカが家畜として用いられていた。クスコを首都とし、そこにはすぐれた石造建築技術を用いた太陽信仰のための諸神殿や皇帝の宮殿がたてられていた。太陽神とされたインカ帝国皇帝は、整った政治行政組織をもった帝国を統治していた。
このインカ帝国も1533年、スペイン人のフランシスコ・ピサロに征服され滅びた。インカの高度な文明の姿は、1911年に発見されたアンデス山中のマチュ・ピチュの遺跡にうかがい知ることができる。
- アンデス文明 – 世界の歴史まっぷ
歴代皇帝(サパ・インカ)
ケチュア族(=インカ族)は、ウィラコチャの頃まではクスコ周辺の小さな部族にすぎなかったが、歴史上実在がほぼ確定的なインカ帝国(タワンティンスウユ)の最初のサパ・インカとされているパチャクテク以降、大帝国に拡大した。
- パチャクテク(在位1438年-1471年)
- トゥパック・インカ・ユパンキ(在位1471年-1493年)
- ワイナ・カパック(在位1493年-1527年)
ニナン・クヨチ(在位1527年?) - ワスカル(在位1527年-1532年)
- アタワルパ(在位1532年-1533年)
参考 Wikipedia