ゾロアスター教(拝火教)Zoroastrianism
メディア生まれの宗教改革者・ゾロアスター(紀元前7世紀後半?-紀元前6世紀前半?)が、古代イランの二元論的な民族宗教を救済宗教へと高めたもの。イスラーム教以前、イランを中心に流布した宗教。火や光の崇拝を重視するので拝火教とも呼ばれる。ササン朝では国境とされ、中国に伝わり祆教と呼ばれた。
ゾロアスター教
イスラーム教以前、イランを中心に流布した宗教。開祖ゾロアスターの生存年は、前1300年〜前1000年の間とする説と、前630年〜前553年とする説があり、確証されていない。善悪二元論、最後の審判(応報審判)が特徴であるが、その教義が確立した時期についても諸説がある。火や光の崇拝を重視するので拝火教とも呼ばれる。ササン朝では国境とされ、中国に伝わり祆教と呼ばれた。
オリエントと地中海世界
古代オリエント世界
オリエント世界の風土と民族
パルティアを倒して成立したイラン系のササン朝は、ゾロアスター教を国教と定めイランの文化的伝統の復活を目指すとともに、インドやギリシア・ローマ文化の影響をうけ高度な国際的文化を形成した。その文化は7世紀以後のイスラーム文化にも影響を与えた。
ヘブライ人とユダヤ教
ユダヤ人は捕囚から開放されて帰国すると、イェルサレムにヤハウェの神殿を再建し、儀式や祭祀の規則を定めてユダヤ教を確立した。そこで説かれた最後の晩餐や、天使・悪魔の思想にはペルシアのゾロアスター教の影響が指摘される。
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アケメネス朝
彼らが信仰したゾロアスター教は、メディア生まれの宗教改革者・ゾロアスター(紀元前7世紀後半?-紀元前6世紀前半?)が、古代イランの二元論的な民族宗教を救済宗教へと高めたものである。
それによれば、この世では善(光明)の神・アフラ・マズダーと悪(暗黒)の神・アーリマンが絶え間なく戦っているが、最期に悪は敗北し、世界は大火災による終末を迎え、人は最後の審判をへて救済されるとした。ユダヤ人はここから二元論的終末論を採用し、のちにそれはキリスト教にも受け継がれた。このほか、光明神のミトラや水神で大地母神のアナーヒターの信仰も行われた。
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ササン朝
アケメネス朝の根拠地であったフォールス地方のペルセポリス付近からおこって、農耕イラン人を勢力基盤としていた。アケメネス朝治下のペルシア帝国の復興をめざし、イラン民族の伝統宗教であるゾロアスター教を国教に定めて、国家の統一と中央集権制の確立をはかった。
パルティアとササン朝の文化
パルティアの文化
パルティアの文化は早くよりヘレニズムの影響を強くうけ、王が「ギリシア人を愛するもの(フィルヘレン)」という称号をおびるほどであった。
宗教的にも徐々にイラン色が濃くなり、ゾロアスター教が信奉されるようになったが、ミトラダテスと名乗るパルティア王がいたことからみて、ミトラ神への信仰も強かったと思われる。バビロニア地方ではセム系とイラン系の宗教混合も進んだ。
アジア・アメリカの古代文明
インドの古代文明
西北インドの情勢
クシャーナ朝は2世紀半ばにでた第4代君主・カニシカ1世の時代が最盛期で、 カニシカの家系はゾロアスター教を信奉していたが、彼はまたアショーカ王とならぶ仏教の保護者としても知られ、その治世に第4回の仏教結集がおこなわれたという。
カニシカの貨幣には仏像やギリシア・ローマの諸神、ゾロアスター教・ヒンドゥー教の諸神の像がうちだされており、この王が宗教的に寛大で、諸民族・諸文化の混在する大帝国をたくみに統治したことが知られる。
東アジア世界の形成と発展
東アジア文化圏の形成
唐代の文化
祆教
ペルシアにおこったゾロアスター教のことで、火を儀式に用いることから拝火教とも呼ばれる。中国には北魏時代に伝来し、イラン系の人々を中心に信仰された。
マニ教
ササン朝において、マニ(216〜276)がゾロアスター教をもとに、キリスト教・仏教などの諸要素を融合させて創始した宗教である。
内陸アジア世界の変遷
トルコ化とイスラーム化の進展
突厥・ウイグルとソグド人
中国内地のソグド人の集落、居留地には薩宝と呼ばれる官がおかれて、みずからの集落をおさめており、またソグド人の多くはイラン伝統のゾロアスター教(祆教)を信仰していた。
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アジア諸地域の繁栄
南アジア・東南アジア世界の展開
ムガル帝国
宗教政策は寛容で、ジズヤ(人頭税)を廃し(1564)、ヒンドゥー教徒の王女を妻に迎え、ヒンドゥー教徒を高官や将軍に用いるなど、たくみな異教徒懐柔策を進めた。さらに世界の諸宗教(ヒンドゥー教・ジャイナ教・イスラーム教・ゾロアスター教・キリスト教)の折衷をみずから試み、皇帝を首長とするディーネ・イラーヒー(神聖宗教)を創始したが、宗教的対立解消の目的は達成しなかった。
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