近松門左衛門
近松門左衛門像 部分(File:Chikamatsu Monzaemon.jpg – Wikipedia)©Public Domain

近松門左衛門


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近松門左衛門 ちかまつもんざえもん( A.D.1653〜A.D.1724)

江戸時代前期の浄瑠璃、歌舞伎狂言の作者。宇治加賀掾門下を経て、1685年竹本義太夫のために『出世景清』を書き、以後義太夫と組んで活躍。また坂田藤十郎との提携を通じて、元禄期を代表する歌舞伎『けいせい仏の原』(1699)なども書いた。1703年初めての世話物浄瑠璃『曾根崎心中』を書き好評を得て、以後浄瑠璃に専念。時代物、世話物ともに優れ、従来の古浄瑠璃と一線を画した功績は大きく、井原西鶴松尾芭蕉と並ぶ江戸文学界の巨頭。

近松門左衛門

江戸時代前期の浄瑠璃、歌舞伎狂言の作者。本名杉森作左衛門信盛。号は巣林子、平安堂。越前吉江藩士であった父が浪人したのを機に上京、堂上貴族の一条恵観、正親町公通らに仕えた。宇治加賀掾門下を経て、貞享2(1685)年竹本義太夫のために『出世景清』を書き、以後義太夫と組んで活躍。また坂田藤十郎との提携を通じて、元禄期を代表する歌舞伎『けいせい仏の原』(1699)、『けいせい壬生大念仏』(1702)なども書いた(→元禄歌舞伎)。元禄16(1703)年初めての世話物浄瑠璃『曾根崎心中』を書き好評を得て、以後浄瑠璃に専念。時代物、世話物ともに優れ、従来の古浄瑠璃と一線を画した功績は大きく、井原西鶴、松尾芭蕉と並ぶ江戸文学界の巨頭。代表作『けいせい反魂香(はんごんこう)』(1708)、『冥途の飛脚』(1711)、『国性爺合戦』(1715)、『博多小女郎波枕』(1718)、『心中天の網島』(1720)、『心中宵庚申(しんじゅうよいごうしん)』(1722)など。

参考 ブリタニカ国際大百科事典

江戸時代の人々の心をとらえた浄瑠璃・歌舞伎作者

武士の家に生まれて芝居の世界に

近松門左衛門は、武士の家の生まれである。しかし、父が浪人したため、一家で京に移った。そこで当時人気のあった浄瑠璃太夫じょうるりたゆう宇治加賀掾うじかがのじょうのもとで修行をして、人形浄瑠璃(今日の文楽)の作者としての第一歩を踏み出した。近松の処女作は1683年(天和3)初演の『世継曾我よつぎそが』で、翌年、大坂で旗揚げした浄瑠璃太夫の竹本義太夫たけもとぎだゆうも語り評判を取った。その後、近松は竹本義大夫とのコンビで作品を発表。1685年(貞享2)に書いた『出世景清しゅっせかげきよ』は、それまでの浄瑠璃にはなかった、人間的な愛憎を取り入れ、喝米を受けた。

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また、上方の歌舞伎俳優である坂田藤十郎とも知り合い、歌舞伎の脚本も多く手がける。坂田が病に伏すと、再び浄瑠璃の世界に戻り、時代物、世話物ともに多くの傑作を残した。それまでは名もない裏方に過ぎなかつた浄瑠璃作者を、表舞台で認めさせたのは、近松が最初である。巧みな筆で、義理と人情の板挟みに苦しむ人間をリアルに描き、絶大な人気を誇った。近松はその辞世の文で、「代々甲冑の家に生まれながら武林を離れ……」と、出自を初めて明らかにする。武士の出であることは、終生心にあったのである。

曽根崎心中:モデルとなった心中事件が起きてからわずか1ヶ月後に初演。近松の執筆時間はほんの3時間ほどだった。実際にあった話題の事件をテーマとした、初の浄瑠璃作品でもあった。
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アジア諸地域の繁栄

清代の中国と隣接諸地域

清朝の統治
国姓爺

鄭成功の父鄭芝竜は、貿易のためしばしば長崎の平戸ひらどに来航し、その地の田川氏の娘を妻とした。1624年、その間に生まれた子が鄭成功であり、幼名を福松ふくまつといい、7歳まで平戸に住んでいた。鄭芝竜は、1644年に明が滅ぶと、明の皇族の唐王とうおう隆武帝りゅうぶてい)を助けて反清運動をおこなった。鄭成功はそのとき唐王から明室の姓「朱」を賜ったことから、国姓爺こくせんやと呼ばれるようになり、父が清に降伏して以降も、台湾を根拠地に激しい反清運動を展開した。母が日本人であったことから、鄭成功の行動は日本へもくわしく伝えられ、近松門左衛門は『国姓爺合戦』と題する浄瑠璃をつくり人気を博した。

幕藩体制の展開

元禄文化

文化の特色
国性爺合戦
『初代河原崎権十郎の和藤内三官と三代目沢村田之助の錦枡女 (『国性爺合戦』より)』(三代目歌川豊国画/ボストン美術館蔵)©Public Domain

国性爺合戦 – 世界の歴史まっぷ

元禄文化の特色は、一つには鎖国状態が確立したことで外国の影響が少なくなり、日本独自の文化が成熟したことである。とはいえこの時期には、一部に明(王朝)滅亡の影響もみられ、明からの亡命者を通して学問・仏教・庭園や近松門左衛門の戯曲にその影響を見出すことができる。

元禄期の文学

元禄期の文学は上方の町人文芸が中心で、松尾芭蕉(1644〜94)・井原西鶴(1642〜93)・近松門左衛門(1653〜1724)がその代表である。

元禄期の文芸

小説仮名草子浅井了意『東海道名所記』
浮世草子井原西鶴『好色一代男』『好色五人女』(好色物)
『武家義理物語』『武道伝来記』(武家物)
『日本永代蔵』『世間胸算用』(町人物)
俳諧貞門派松永貞徳『御傘』(古風、俳諧の規則を定める)
談林派西山宗因『西翁十百韻』(新風、自由・軽快)
蕉風松尾芭蕉『俳諧七部集』(冬の日・春の日など)
俳文松尾芭蕉『野ざらし紀行』『笈の小文』『奥のほそ道』
脚本浄瑠璃近松門左衛門『曽根崎心中』『心中天網島』『冥途の飛脚』(世話物)
『国性爺合戦』(時代物)
古典契沖『万葉代匠記』
北村季吟『源氏物語湖月抄』
参考: 山川 詳説日本史図録

近松門左衛門は京都近くの武士の出身であったが、若いころから文学に親しみ、当時流行していた人形浄瑠璃歌舞伎の脚本を書いた。近松の作品は、当時の世相に題材を求めた世話物や、歴史上の説話や伝説に題材をとった時代物などがある。世話物には、実際あった恋人同士の相対死を意味する心中(情死)を素材にし1703(元禄16)年初演の『曽根崎心中』や、『心中天網島』『冥途の飛脚』などが、代表作としてある。義理と人情の葛藤のあげく心中した2人が、この世では得られなかった幸せを来世に求める姿が感動を呼んだ。時代物には、『出世景清』などもあるが、『国性爺合戦こくせんやがっせん』が代表作である。明(王朝)の王位回復を願う実在の鄭成功(国姓爺)をモデルに、主人公和藤内わとうない(平戸に住む漁師)が韃靼(清)を倒し、明を再興して、ひいては日本の国威を発揚はつようするという筋立てである。東アジア世界を舞台に、和藤内を縦横に活躍させるこの人形浄瑠璃の上演は、みる者をして現実の明滅亡と日本の国家を意識させたに違いあるまい。

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