アラム人 Aramaseans
前13世期頃よりシリアのダマスクスを中心に内陸交易に活躍したセム語系遊牧民。ラクダを利用し、広範囲に交易網を成立させたが、政治的には巨大な王国を築くことはなかった。アラム語はオリエントの共通語として広まり、アラム文字ものちの文字の形成に大きな影響を与えた。
アラム人
前13世期頃よりダマスクスを中心に内陸交易に活躍したセム語系遊牧民。ラクダを利用し、広範囲に交易網を成立させたが、政治的には巨大な王国を築くことはなかった。アラム語はオリエントの共通語として広まり、アラム文字ものちの文字の形成に大きな影響を与えた。
オリエントと地中海世界
古代オリエント世界
オリエント世界の風土と民族
地中海東岸のシリア・パレスチナ地方では、セム語系アラム人・フェニキア人・ヘブライ人が特色ある活動を展開した。アラム人は内陸商業に活躍し、フェニキア人は地中海貿易で活躍し、彼らの使用文字から各地の文字体系が作り出された。
アラム人とフェニキア人
遊牧民としてシリアからメソポタミア北部へかけての地方に姿を現したアラム人は、紀元前2千年紀の半ばころよりそれぞれの進出先で定着した。そして紀元前1200年ころより、ダマスクスをはじめとする都市を中心に幾つかの小国家を形成し、内陸貿易の担い手として広い範囲で活躍した。紀元前8世紀にはアッシリア軍(中アッシリア時代)の侵略に対し、それまで抗争を続けてきたヘブライ人とも手を結んで抵抗したが、破れて独立を失った。しかし王国滅亡後も商業活動はさかんで、その言語は全オリエントの国際共通語となった。そのため、政治的にはアラム人を支配したアッシリアや、のちのアケメネス朝も、公用語としてアラム語を採用したほどである。またフェニキア文字から分かれて発達したアラム文字は、各地に伝播して東方系の多くの文字の母体となった。アラム文字から派生した文字として、ヘブライ文字・シリア文字・アラビア文字・ソグド文字・ウイグル文字・モンゴル文字・満州文字などがあげられる。
アッシリア
紀元前7世紀の中ごろにエジプト第26王朝が独立、次いでイラン高原にインド=ヨーロッパ語系のメディア王国が、また小アジアに同系のリディア王国が成立した。さらに、メソポタミア南部に移動していたアラム人の一派と思われるカルデア人は、紀元前625年にバビロンを都として新バビロニア(カルデア王国)を樹立すると、メディアと同盟してアッシリアを攻め、紀元前612年にニネヴェを陥れてこれを滅ぼした。
アケメネス朝
ダレイオス1世は全国を20余りの州に分け、各州にサトラップをおいて統治するとともに、「王の目」「王の耳」と呼ばれる監察官を配置して情報収集に努めた。また全国の要地を結ぶ「王の道」と呼ばれる軍道を整備し、駅伝制をしいて中央集権の強化をはかった。経済面では、金貨・銀貨を鋳造し、税制を整える一方で、海上ではフェニキア人、陸上ではアラム人による商取引の便をはかっている。