第18王朝〜第20王朝
第18王朝〜第20王朝(エジプト新王国)
紀元前16世紀に入ると、テーベに第18王朝がおこっってヒクソスを追い、全土を再び統一した。このあと第20王朝までの約500年間を新王国時代と呼ぶ。第18・19王朝が最盛期で、対外的にも積極的な政策をとった。第18王朝のハトシェプスト女王は、南方のプントに船団を送って交易したことで知られている。
またエジプト最大の王といわれるトトメス3世は、シリアやナイル川上流のヌビアを征服して帝国的な支配をおこなった。同じくシリアに進出した第19王朝のラメセス2世が、この地方の領有をめぐってヒッタイトと争ったことはすでに記したとおりである。第18王朝のアメンホテプ4世は別の意味で注目に値する。この王は従来のアモン神中心の多神教にかえて唯一神アトンの崇拝を強行し、テル=エル=アマルナに遷都してみずからもイクナートン(「アトンを喜ばせるもの」)と改名した。新しい宮廷を中心に、エジプトでは珍しい自由で写実的な美術(アマルナ美術)も生まれた。しかしこの改革は王の死によって終わり、次のツタンカーメン王は都をメンフィスに移し、アモン神の信仰が復活した。
紀元前12世紀ころからエジプトの勢威はしだいに衰え始める。第20王朝のラメセス3世がかろうじて「海の民」の侵略を撃退したものの、第21王朝以降の衰退は著しく、異民族の侵入や外国勢力による支配を相次いでうけた。
*プント Puntは、紅海の南西岸からアフリカの奥地へ少し入ったあたりとも、もう少し南のソマリアあたりともいわれているが、正確な位置は不明。金や香料、ヒヒなどの珍獣がここからエジプトに輸入された。
新王国時代
時代名 | 王朝 | 年代 | 王名(英字表記) |
---|---|---|---|
新王国時代 ca1539-1077BCE | 第18王朝 CA.1539-1292BCE | 前1539-1515年頃 | アハメス(Ahmose) |
前1514-1494年頃 | アメンへテプ1世(Amenhotep I) | ||
前1493-1483年頃 | トトメス1世(Thutmose I) | ||
前11482-1480年頃 | トトメス2世(Thutmose II) | ||
前1479 - 1425年頃 | トトメス3世(Thutmose III) | ||
前1479-1458年頃 | ハトシェプスト女王(Hatshepsut) | ||
前1425-1400年頃 | アメンへテプ2世(Amenhotep II) | ||
前1400-1390年頃 | トトメス4世(Thutmose IV) | ||
前1390-1353年頃 | アメンへテプ3世(Amenhotep III) | ||
前1353-1336年頃 | アメンへテプ4世(Amenhotep IV) | ||
前1336 - 1334年頃 | スメンクカラー/ネフェルネフェルウアテン(Smenkhkare/Neferunefruaten) | ||
前1332-1324年頃 | ツタンカーメン(Tutankhamun) | ||
前1323-1320 | アイ(Ay) | ||
前1319-1292年頃 | ホルエムヘブ(Horemheb) | ||
第19王朝 ca.1292-1191BCE | 前1293-1291年頃 | ラムセス1世(Ramesses I) | |
前1290-1279年頃 | セティ1世(Sety I) | ||
前1279-1213年頃 | ラメセス2世(Ramesses II) | ||
前1213-1203年頃 | メルエンプタハ(Merneptah) | ||
第20王朝 ca.1190-1077BCE | 前1190-1188年頃 | セトナクト(Setnakhte) | |
前1187-1157年頃 | ラムセス3世(Ramesses III) |
シリアまで領域拡大したためヒッタイトと戦闘を繰り広げる