古代エジプト
彩色人物像浮彫 エジプト/前1500〜前1400/褐色の肌、細かい巻毛の髪、短い顎ひげ、幅広の衿飾りなど、古代エジプトにおいて、一定の地位のある男性の典型的な描き方である。(古代オリエント博物館蔵)

古代エジプト


Previous Post

第18王朝〜第20王朝

第18王朝〜第20王朝(エジプト新王国)

紀元前16世紀に入ると、テーベに第18王朝がおこっってヒクソスを追い、全土を再び統一した。このあと第20王朝までの約500年間を新王国時代と呼ぶ。第18・19王朝が最盛期で、対外的にも積極的な政策をとった。第18王朝のハトシェプスト女王は、南方のプントに船団を送って交易したことで知られている。

紀元前15世紀のオリエント諸国の地図
紀元前15世紀のオリエント諸国の地図©世界の歴史まっぷ

またエジプト最大の王といわれるトトメス3世は、シリアやナイル川上流のヌビアを征服して帝国的な支配をおこなった。同じくシリアに進出した第19王朝のラメセス2世が、この地方の領有をめぐってヒッタイトと争ったことはすでに記したとおりである。第18王朝のアメンホテプ4世は別の意味で注目に値する。この王は従来のアモン神中心の多神教にかえて唯一神アトンの崇拝を強行し、テル=エル=アマルナに遷都してみずからもイクナートン(「アトンを喜ばせるもの」)と改名した。新しい宮廷を中心に、エジプトでは珍しい自由で写実的な美術(アマルナ美術)も生まれた。しかしこの改革は王の死によって終わり、次のツタンカーメン王は都をメンフィスに移し、アモン神の信仰が復活した。
紀元前12世紀ころからエジプトの勢威はしだいに衰え始める。第20王朝のラメセス3世がかろうじて「海の民」の侵略を撃退したものの、第21王朝以降の衰退は著しく、異民族の侵入や外国勢力による支配を相次いでうけた。

*プント Puntは、紅海の南西岸からアフリカの奥地へ少し入ったあたりとも、もう少し南のソマリアあたりともいわれているが、正確な位置は不明。金や香料、ヒヒなどの珍獣がここからエジプトに輸入された。

新王国時代

時代名王朝年代王名(英字表記)
新王国時代
ca1539-1077BCE
第18王朝
CA.1539-1292BCE
前1539-1515年頃アハメス(Ahmose)
前1514-1494年頃アメンへテプ1世(Amenhotep I)
前1493-1483年頃トトメス1世(Thutmose I)
前11482-1480年頃トトメス2世(Thutmose II)
前1479 - 1425年頃トトメス3世(Thutmose III)
前1479-1458年頃ハトシェプスト女王(Hatshepsut)
前1425-1400年頃アメンへテプ2世(Amenhotep II)
前1400-1390年頃トトメス4世(Thutmose IV)
前1390-1353年頃アメンへテプ3世(Amenhotep III)
前1353-1336年頃アメンへテプ4世(Amenhotep IV)
前1336 - 1334年頃スメンクカラー/ネフェルネフェルウアテン(Smenkhkare/Neferunefruaten)
前1332-1324年頃ツタンカーメン(Tutankhamun)
前1323-1320アイ(Ay)
前1319-1292年頃ホルエムヘブ(Horemheb)
第19王朝
ca.1292-1191BCE
前1293-1291年頃ラムセス1世(Ramesses I)
前1290-1279年頃セティ1世(Sety I)
前1279-1213年頃ラメセス2世(Ramesses II)
前1213-1203年頃メルエンプタハ(Merneptah)
第20王朝
ca.1190-1077BCE
前1190-1188年頃セトナクト(Setnakhte)
前1187-1157年頃ラムセス3世(Ramesses III)
首都:テーベ
シリアまで領域拡大したためヒッタイトと戦闘を繰り広げる
広告
Previous Post