同盟市戦争 紀元前90年に、都市国家ローマと同盟を結んでいたイタリア各地の都市国家や部族が、ローマ市民権を求めローマに対し蜂起した戦争である。「ローマ連合」は実質的には一つの国として機能していたため、戦争というより内戦に近い。
同盟市戦争
ローマ連合

共通の利害
ポエニ戦争後、ローマが地中海に覇権を確立し帝国主義的な対外戦争を頻発させるようになる。 ローマ連合は、共通した利害の元に行なわれ、対外戦争で獲得される属州の農地は国有地として貸し出された。マリウスの軍制改革
紀元前1世紀、ガイウス・マリウスによって軍制改革が行われる。 マリウスの軍制改革マリウスの軍制改革後
徴兵制から志願制となり、ローマ市民においては貴族のみが利益を得るシステムは解消され、平民に対して自作農については兵役免除、無産者については軍隊に吸収し給与を払う形で救済がなされたが、国内自治、内政不干渉の名の下でこの改革の適用はローマ市民に限られた。 同盟市諸都市でローマと同じ軍制を導入しようとも、資金である属州税はローマが独占しているので不可能であり、それまでローマ市民権を持つローマ市民の軍が担っていた犠牲の多い中核部隊を市民権を持たないものも同じ犠牲を払う仕組みとなって、ローマ市民権が一種の特権だと感じる同盟諸都市民が多くなっていく。 このような状況の中で他の都市に住むローマ市民権を持たない人々の間に、ローマ市民権を要求する機運が高まったが、ローマは、ローマ市民権が旨味を増していった時期になっていたため、これを拒絶したため、比較的に貧しい地域に住む人々が中心となってローマに対し叛旗を翻し同盟市戦争となった。 ローマ軍の強さは、高度にシステム化・マニュアル化された軍制にあり、それゆえ稚拙な戦術しか持たない蛮族や、司令官の力量に由来する他国の軍に対して勝利を収めてきた。しかしこの戦争では、それまで同じ軍隊で生活をしていた将官や兵士同士が戦うようになったため、叛乱側もローマの戦法は知っており、各地で激戦となった。 ローマ側で特に目覚ましい戦果を挙げたのがルキウス・コルネリウス・スッラであった。収束
紀元前90年の冬、ローマは各勢力に妥協してローマ市民権を与えるユリウス市民権法を執政官であるルキウス・ユリウス・カエサル(独裁官ガイウス・ユリウス・カエサルの伯父)が提出する。この法案の可決以降、戦線は縮小し、抵抗する者はいたものの紀元前89年には事実上終結した。 ローマは第一次ミトリダテス戦争へ対処するために、収束を急ぐ必要もあり、敗者に対する寛大な処置で戦いの収束を加速した。同盟市戦争の影響
イタリア各地にあった都市国家はローマを構成する地方都市となる。ローマ連合は発展的に解消して本国イタリアとなり、ローマも都市国家ではなく領域国家として歩むことになった。