鄧茂七の乱
福建省沙県の農民鄧茂七が、1448年に地主の横暴に反対して起こした反乱。当時福建省の建陽県では農民の大部分が「城居地主」のもので、農民は収穫の50〜60%を小作料としておさめていた。沙県では小作料のほか、別に税を地主におさめねばならず、鄧茂七らはこれを廃止するよう地主側に要求したが拒否された。そこで鄧茂七らは実力行使にでたが、宗教的組織をもたず、知識人が参加しない最初の農民反乱で、その後福建や浙江、さらに全国へと波及していった。これは、その後の抗租運動の先駆的位置を占める反乱であった。
鄧茂七の乱
アジア諸地域の繁栄
東アジア | インド・西アジア | |
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1351 | 紅巾の乱(〜66) | |
1368 | 明建国(首都: 金陵) 洪武帝即位 | |
1370 | ティムール朝成立 | |
1399 | 靖難の役(〜1402) | |
1402 | アンカラの戦い | |
1448 | 鄧茂七の乱 | |
1449 | 土木の変 | |
1453 | オスマン帝国、ビザンツ帝国を滅ぼす | |
1501 | サファヴィー朝成立 | |
1507 | ティムール朝滅亡 | |
1526 | ムガル帝国成立 | |
1529 | オスマン帝国、第1次ウィーン包囲 | |
1538 | プレヴェザの海戦 | |
1592 | 豊臣秀吉、朝鮮侵略(〜1598) | |
1616 | ヌルハチ、後金建国 | |
1631 | 李自成の乱(〜1645) | |
1636 | 後金、清と改称 | |
1644 | 明滅亡、清が北京占領 | |
1673 | 三藩の乱(〜1681) | |
1683 | オスマン帝国、第2次ウィーン包囲失敗 | |
1689 | ネルチンスク条約(対ロシア) | |
1699 | カルロヴィッツ条約 | |
1703 | チューリップ時代(〜1730) | |
1706 | イエズス会以外の宣教師追放 | |
1727 | キャフタ条約(対ロシア) |
東アジア・東南アジア世界の動向
明後期の社会と文化
15世紀には銀の流通が農村にまで押しよせたため、銀を手にすることが少ない農民は、商人や高利貸しらの支配を受けるようになり、なかには土地を手放す者も現れた。こうして農民の生活はしだいに窮迫し、ついには農民が地主に対し小作料(佃租)の減免を要求してたちあがるという抗租運動が起こった。15世紀中頃の鄧茂七の乱(1448〜1449)はその最大の抗租反乱であり、こうした抗租運動は江南を中心に、清の初期まで各地で発生した。
鄧茂七の乱
福建省沙県の農民鄧茂七が、1448年に地主の横暴に反対して起こした反乱。当時福建省の建陽県では農民の大部分が「城居地主」のもので、農民は収穫の50〜60%を小作料としておさめていた。沙県では小作料のほか、別に税を地主におさめねばならず、鄧茂七らはこれを廃止するよう地主側に要求したが拒否された。そこで鄧茂七らは実力行使にでたが、宗教的組織をもたず、知識人が参加しない最初の農民反乱で、その後福建や浙江、さらに全国へと波及していった。これは、その後の抗租運動の先駆的位置を占める反乱であった。