古代エジプト Egypt B.C.3150〜B.C.332
紀元前3000年頃、メネスがエジプトを征服して統一国家(エジプト初期王朝)形成から紀元前332年、アレクサンドロス大王によって滅ぼされるまでの時代のエジプト。前3世紀のエジプト人神官マネトが30王朝/7期にまとめた。ナイル川流域を中心とした、北アフリカ東端の地域。最古の農耕文明発祥の地の一つ。
古代エジプト
ナイル川流域を中心とした、北アフリカ東端の地域。最古の農耕文明発祥の地の一つ。前3世紀のエジプト人神官マネトは、統一王朝の成立からアレクサンドロスによる征服までのエジプト史を、30の王朝に分割した。また王権に注目すると、古王国・中王国・新王国や中間期といった7期にまとめられる。
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ナイル川は、水源地のエチオピア高原での季節的な豪雨によって、7月になると下流で増水が始まり、11月に減水するまでの間に氾濫した水は流域の平地をおおった。そして水が引いたあとの耕地には、上流から運ばれた肥沃な泥土が残された。こうして、毎年規則的に繰り返されるナイル川の氾濫で灌漑され、エジプトの農地は生産力がきわめて高かった。ナイル川はまた、流域の各地を結ぶ交通路としての役割も担った。ギリシアの歴史家ヘロドトスが「エジプトはナイルのたまもの」といったのも当然と言えよう。ここでは早くから流域にエジプト語系多くの村落(ノモス)が分立していた。しかしナイル川の有効な治水と用水の公平な分配を行なうには、住民の共同作業と、彼らを統率する強力な指導者が必要であったため、しだいに統合への気運が高まった。
多数のノモスは、やがてナイル下流デルタ地帯の下エジプトとそれより上流の上エジプトの2つの王国にまとまり、更に紀元前3000年頃に、上エジプトの王メネス(別名ナルメル)が下エジプトを征服して統一国家(エジプト初期王朝)を形成した。
以後、一時的に異民族の侵入や外国の支配を受けることはあったが、メソポタミアに比べれば国内の統一はよく保たれ、ファラオと呼ばれる王による安定した統治が行われた。古代エジプト王国と呼べるのは、メネスによって統一されてから紀元前4世紀にアレクサンドロス3世によって征服されるまでの期間(紀元前3150年頃〜紀元前332年頃)で、約30の王朝が交替した。そのうちの重要な時代を古王国・中王国・新王国の3期に区分する。