イングランド王国 (927年〜1707年)
- 首都: ウィンチェスター, ロンドン
- 927年: 成立 アゼルスタン(イングランド王)
- 1016年: デーン朝(北海帝国)成立 クヌート1世(イングランド王)(デンマーク王・ノルウェー王)
- 1066年: ノルマン朝成立 ウィリアム1世(イングランド王)(ノルマンディー公)
- 1154年: プランタジネット朝成立 ヘンリー2世(イングランド王)
- 1337年: 百年戦争開始 エドワード3世(イングランド王)
- 1399年: ランカスター朝成立 ヘンリー4世(イングランド王)
- 1453年: 百年戦争終結 ヘンリー6世(イングランド王)
- 1461年: ヨーク朝成立 エドワード4世(イングランド王)
- 1485年: テューダー朝成立 ヘンリー7世(イングランド王)
- 1603年: ステュアート朝成立 ジェームズ1世(イングランド王)(スコットランド・アイルランド王)
- 1649年: 共和制 チャールズ1世(イングランド王)(スコットランド・アイルランド王)処刑
- 1660年: ステュアート朝 王政復古 チャールズ2世(イングランド王)(スコットランド・アイルランド王)
- 1707年: グレートブリテン王国建国 イングランド王国とスコットランド王国が合併
イングランド王国
927年の七王国の一つウェセックスの王アゼルスタンのイングランド全土統一から、1707年のスコットランド王国との合同まで存在した国家。
ウェセックス王エグバートの825年のイングランド統一から最初のイングランド王と言われることが多いが、実際の称号はブレトワルダ(覇王)であった。
スコットランド王であったステュアート朝のジェームズ1世が1603年に王位を兼ねて以来、スコットランドとは同君連合の関係にあったが、アンの時代の1707年の合同法により、スコットランド王国と合同してグレートブリテン王国となった。
ノルマン朝
1066年〜1154年
ノルマンディー公ビヨーム2世がアングロ・サクソン人の支配下にあったイングランド王国を征服(ノルマン・コンクエスト)し、ウィリアム1世(征服王)として即位したことによって成立したイングランド王国の王朝。征服王朝のため、当初から国王による権力集中が完成していた。ノルマン朝の血筋はその後のイングランド諸王家にも受け継がれている。首都: ロンドン。
ノルマン朝 – 世界の歴史まっぷ
プランタジネット朝
1154年〜1399年
イングランド王国の王朝。フランスのアンジュー伯アンリが1154年にイングランド王ヘンリー2世となり、1399年にリチャード2世が廃されるまで続いた。13世紀にマグナカルタの承認、モンフォール会議、模範議会の開催があり、議会制度の萌芽が見られた。14世紀には英仏百年戦争に突入し、フランス領土の拡張を目指したが、議会・貴族との対立を深め、ランカスター朝に替わった。
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百年戦争
1337~1453年
フランスを戦場に,イングランド,フランスの間で断続的に行われた戦争。
戦争が長期にわたった原因は、イングランド王がフランス国内に領土を有し、フランスの王位継承権を争ったことにある。
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ランカスター朝
1399〜1461年
イギリスでは百年戦争終結後間も無く、王位継承をめぐって国内貴族を2分する内乱、バラ戦争がおこった。
1455年、エドワード3世(イングランド王)の曾孫ヨーク公リチャード3世(イングランド王)は、ランカスター家に対してヨーク家の王位継承権を主張して決起した。百年戦争のために大量の家臣団を抱えて不満を持つ有力貴族は、それぞれランカスター家ないしヨーク家について、散発的ながらも30年にわたり戦いを繰り広げた。戦況はヨーク家の優勢に展開し、リチャードの戦死後その子エドワード4世によりヨーク朝が開かれた(1461)。
ランカスター朝 – 世界の歴史まっぷ
ヨーク朝
1461〜1485年
ランカスター派は一時勢力を盛り返し、ヘンリー6世(イングランド王)を復位させたが、まもなく体制を立て直したヨーク派の前に敗れ去った。しかしエドワード4世の死後内乱が再発、ランカスター家の血を引くリッチモンド伯ヘンリー・テューダーは、衆望をになってヨーク朝の新王リチャード3世と戦い、ボズワースで彼を敗死させた。
まもなく伯はヘンリー7世(イングランド王)を称し、テューダー朝を開いた。そして、翌年ヨーク家の王女エリザベス・オブ・ヨークと結婚し、両派の和解を成立させた。ヘンリー7世は、封建貴族の勢力を打破するために家臣団を解散、貨幣と度量衡を統一して商品流通の円滑化をはかったほか、国王直属の特別裁判所として星室庁を設置するなど、集権化を推し進めた。こうして、イギリスはテューダー朝の成立とともに中世史に終わりを告げ、絶対王政の時代に移行していった。
ヨーク朝 – 世界の歴史まっぷ
テューダー朝
1485〜1603年
ランカスター家の血をひくヘンリー・テューダー(リッチモンド伯)は、衆望を担ってヨーク朝の新王リチャード3世(イングランド王)と戦い、ボズワースで彼を敗死させた(1485)。まもなく伯はヘンリー7世(イングランド王)を称し、テューダー朝(1485〜1603)を開いた。そして、翌年ヨーク家の王女エリザベスと結婚し、両派の和解を成立させた。
ステュアート朝
1603年、イングランド王国テューダー朝のエリザベス1世が未婚のまま没すると、スコットランド王ジェームズ6世がジェームズ1世(イングランド王)として迎えられイングランド王国ステュアート朝を開き、1707年まで同君連合体制となった。