エジプトの文化
エジプトの文化
『死者の書』に描かれた死後の審判の場面
死者は死後、冥界の王オシリスの審判を受けなければならなかった。図は第19王朝のパピルスで、死者のフネフェルが心臓の重さ(=生前の善悪)を量られたあとで、オシリスの前へ尋問のために導かれる場面を表している。
エジプト人の宗教は多神教であったが、太陽神ラーを主神として崇拝した。のちにテーベに首都が移されると、この市の守護神アモンと結合してアモン=ラーとなり、アトン信仰が強行されたアメンホテプ4世の時代を除いて、ほぼ全国的に崇拝された。霊魂不滅とオシリス神が支配する死後の世界を信じたエジプト人は、遺体をミイラにして保存し、「死者の書」やその他多くの副葬品を添えて葬った。
エジプト人が創始した象形文字は本来表意文字であったが、のちに表音文字としての用法が分化した。表意・表音の2種の文字が併用されているエジプト文は、日本語の漢字・仮名まじり文を思わせるものがある。書体面でも文字の用途に応じた簡略化が進み、その結果、主として石碑や墓室・石棺などに刻まれる造形性の強い神聖文字(ヒエログリフ)と、パピルス草から作った一種の紙にインクで書かれ、宗教書・公文書・文学作品などに用いられる簡略体の神官文字(ヒエラティック)、それと日常的に用いられる最も簡略された民用文字(デモティック)の区別ができた。
メソポタミアと同じくエジプトでも、ナイル川の氾濫の開始時期を予知し季節に合わせた農作業を行う必要から、早くより天文・暦法の研究が発達した。エジプト人が用いた1年を12ヶ月365日とする太陽暦は、のちにローマで採用されてユリウス暦となった。氾濫後の耕地復元のために発達した測地術は、幾何学の起源とされる。また石材の豊富なエジプトでは、有名なピラミッドやオベリスクのほか、石造の壮大な神殿が数多くきずかれた。各地の遺跡で我々も目にすることのできる列柱式の建築様式は、クレタやギリシアの建築に影響を与えたといわれる。
王朝時代の年代については Hornung, E., Krauss, R. and D.A.Warburton[eds.]2006. Ancient Egyptian Chronology. Brill. を基本とし、一部改変。初期王朝時代に関しては、前3000年頃の開始とする説もある。前690年以前はおよその年代である。
「EGYPT LAND OF DISCOVERIES from The National Museum of Antiquities in Leiden, The Netherlandsss」